桜乃争奪戦・前編
とある日の日曜日
青学の男子テニス部メンバーは、一つの市営コートにいた。
竜崎先生の提案で、今日はここで試合などではなく、親睦を図る目的での集まりとなり、メンバー以外に、孫の桜乃や友人の朋香、かわむら寿司の主人も揃っていた。
河村の父親であるかわむら寿司の主人はテニスについての知識は皆無だが、テニスの合間に食べる寿司の差し入れと、メンバー達を店の車で運んでくれたのだ。良い親である。
「ごめんよ、いろいろと世話かけちゃって」
「いいってことよ」
謝る河村に呵呵と笑う父親は、そこに来た竜崎へと向き直って礼をする。
「こりゃ先生、いつも息子がお世話になっております」
「いや、とんでもない。こちらこそ今日は随分世話になってしまって・・・食事の差し入れまでして頂いて感謝しております」
大人達の挨拶が行われている最中、その脇ではメンバー達がテニスの相手の振り分けを行っており、またそれを覗き込むように、桜乃と朋香が楽しそうに笑っている。
久し振りにこういう形でみんなと騒げることが、二人にとっては非常に嬉しいらしい。
「リョーマ様、頑張ってね!!」
「当たり前でしょ」
相変わらず、自分へのエールに対してもつれない返事をする一年生は、二人へ視線を向けることもなく組み分けの紙をじっと凝視している。本当に根っからのテニス好きなのだ。
「皆さんも頑張って下さいね。応援してますから」
「うん、有難う」
朋香よりはやや遠慮がちに応援してくれる桜乃に、不二がいつもと同じ穏やかな笑顔を向けて礼を言う。
「・・・お前達は参加しないのか?」
話に加わってきたのは部長の手塚だった。
彼の視線は常に厳しさを称えているが、決してそれだけではないことを彼の身近にいる人々は良く知っており、無論、桜乃もその中に入っていた。
「はい、最初は見学させてもらいます。もしお時間が空いたら、少しだけお相手して頂けたら・・・」
「うむ。そう言えば竜崎先生が、最近お前の腕が飛躍的に伸びていると話していたが・・・」
「そ、そんな事ないですよ。まだまだ、です」
つい越前の口癖が出てしまって桜乃が赤くなったところで、朋香が思い出した様に親友に向き直った。
「あれじゃない? 桜乃、最近立海の人達の所でテニス教えてもらってるって言ってたから、そのお陰かも!」
「へ? そうなの〜?」
割り込んできたのは、年長組の中では子供っぽい印象が強い菊丸だった。
「そう言えば、最近ウチの練習の時にあまり見かけなかったけど・・・」
「青学で、立海の女子テニス部との試合も企画されたりして、おばあちゃんのおつかいで行ったりしてるんですよ」
にこにこと笑って説明する桜乃に、今度は二年生の桃城もへぇーっと声を上げる。
「そのついでにテニスの腕も見てるってか。随分面倒見のいい奴らだなぁ」
あの固い印象が強い立海の面々が、わざわざ他校の、しかも女子にそこまで心を砕くとは。
「フン・・・暇な奴らだ」
海堂は相変わらず不機嫌そうな表情で鼻を鳴らし、そこにいないライバル達を評したが、桜乃は笑いながら首を横に振った。
「教えてもらうと言っても、基礎の部分ばかりですから・・・けど、皆さん優しい方々なんですよ」
『・・・・・・・・・・・・』
テニスで戦ったことのあるメンバー達は否定する気はないのだろうが、ライバル心からか、なかなかその言葉に素直に頷くことが出来ない。
しかも同じ学校の生徒で可愛い妹分とも言える桜乃が、他校の男子を手放しで褒めているのを聞いて、何となくメンバー全員はもやもやした感情を抱く。
「ふーん、楽しそうじゃん」
越前が皮肉の笑みを浮かべながら言い放つと、早速それを面白がって桃城がちょっかいを出した。
「お、何だ何だ越前、ヤキモチかぁ?」
「別にそんなんじゃないッスよ。あのコワい顔した人達が竜崎にテニス教えるなんて、随分我慢強いんだなって思っただけッス。」
「あ・・・まぁ、それは・・・」
言外に、彼女の運動音痴振りを評したのだろうが、全く言い返せない桜乃は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「おい越前、お前もうちょっと言い方を考えろよ。誰でもお前みたいにちょろちょろ動けるってワケじゃ・・・」
デリカシーがないだろう、と桃城が後輩に注意しようとしたその時、いきなりどんっと桜乃の身体に何かが激しくぶつかり、彼女の身体が大きく揺らいだ。
「きゃ・・・っ」
そして、少女の小さな悲鳴を掻き消すほどの大声が響く。
「おさげちゃん、おひさ――――――――っ!!」
「え・・・」
誰かが自分の身体に抱きついたのだと知り、桜乃が振り向くと、そこには立海の丸井が自分の腰を包む様に手を回してべったりと張り付いていた。
「丸井さん!?」
「元気だったかいおさげちゃん!? 最近遊びに来てくんないんだもんな―――、寂しかったよい!」
続く形で、丸井だけではなく他の立海メンバーもテニスコートにぞろぞろと姿を見せ、そこで彼らは先に突進して行った仲間の行為の理由を知った。
「おい、竜崎だ」
「あー成る程のう、道理で丸井の奴が飛び出して行ったワケじゃ」
ジャッカル達が少女を指差している隣で、幸村と真田が彼女の側の青学の面々を見つけて言葉を交わす。
「やぁ、青学もここに来てたんだ」
「ほう・・・勢揃いだな」
一方、青学のテニス軍団は、桜乃に抱きつく丸井を見て例外なく硬直していた。
別に桜乃の所有権など誰も持っていないが、何となく、ただひたすらにムカつく・・・・・・
「・・・向こうに低気圧の層が見える」
見えない暗雲を青学軍団の頭上に感じ取った柳がそう言うと、幸村が苦笑しながら丸井に声を掛けた。
「ブン太、青学の人達の邪魔をしたらダメだよ」
「あ?」
ぐりんっと首を回し、そこでようやく彼は周囲にいた青学の面々に気付いたのだが、掛けた言葉は・・・・・・
「・・・なんだ、あんたらもいたの」
ピシャ――――――――――ンッ!!!!!
青学の男達の方から、鋭く空気を裂く音が聞こえてきた気がする・・・
「・・・・・・何の音?」
「殺意が芽生えた音だろう」
幸村の疑問に真田は目を閉じて答え、疲れた様子で首を振った。
「オイ・・・ウチの学校の者に何してやがる」
早速、海堂がぎろっと丸井を睨みつけて威嚇したが、相手はぷーっとガム風船を膨らませ、それを破裂させると、んべっと舌を出した。
「てめぇ!!」
「海堂!!」
「ブン太、そこまで」
一気に喧嘩モードに突入しようとした海堂を手塚の一喝が押さえ、続けて幸村の声も丸井を引き下がらせた。
「・・・ちぇっ」
ぷいっとそっぽを向いた丸井はようやく桜乃を手放して、こちらへと歩いてくる仲間達の方へと戻ってゆく。
「久し振り、手塚。ブン太が邪魔してすまない、知った顔に会えてはしゃぎすぎた様だ」
「ああ、久しいな、幸村。しかし、お前達がこんな所まで来るとは・・・」
「慣れた場所だけだと流石に飽きるし、刺激は必要だよ。君達こそ今日は一同勢揃いじゃないか、俺達も同じだけどね」
部長同士の会話で取り敢えずの激突は避けられた様で、他の一同がほっと胸を撫で下ろしていると、その場に保護係の竜崎が歩いてきた。
どうやら、受付の方が無事に終了したらしい。
「おや? 珍しい顔があるじゃないか。久し振りだね、立海の」
幸村達の姿に気付いた彼女の声に、立海のメンバー達は軽く会釈した。
「御無沙汰しております、竜崎先生」
固い挨拶を固い顔で述べる真田は、生徒ではなく十分教師として通る程だ。
それから竜崎達が暫く会話を続ける間、青学と立海のそれぞれの面々は見知った者同士色々と雑談を交わしていた。
「相変わらず、データ入手に余念がない様だな、貞治」
「ああ、お前もその様だな、蓮二。色々噂は聞いている」
「今日はどっちが仁王〜?」
「プリッ。教えてやってもいいが・・・まぁ、その良い目で当ててみんしゃい」
「丁度いいや、ちょっと勝負しようぜ越前リョーマ」
「俺はいいけどね・・・そっちのコワい副部長さんはオーケーくれんの?」
わいのわいのと騒いでいる男性陣の中で、ようやくトラブルから脱した桜乃は、ほーっと軽く息を吐き出していた。
「桜乃、大丈夫?」
「あ、うん朋ちゃん、ちょっとびっくりしただけ」
「仲良くしてるとは聞いてたけど・・・なんか、凄かったよ」
はーっと感嘆のため息を漏らす友人に、桜乃は照れ臭そうに笑う。
「うん・・・でも、丸井さんはいつもあんな感じなの。抱きつかれても、全然いやらしい感じはしないし」
「まぁ、猫がじゃれてる感じだったけどね、確かに」
「でしょ?」
皆がそんな雑談に興じている間に竜崎達の方では、或る一つの案が持ち上がっていた。
「え? 合同試合・・・ですか?」
「俺達と?」
「難しいかねぇ、丁度双方のレギュラーが揃うなんて、良い機会だと思うんだが。別に正式な勝負をしようという訳じゃない、あくまで今日はレクリエーションという形でね」
「・・・・・・・」
真田と幸村の問い掛けに、竜崎がどうだろうという表情で案を持ちかける脇では、手塚が腕を組んで何事か黙考している。
「ふむ・・・相手にとって不足はないが、そう言っても遊びで済ませる様な奴らではないからな・・・」
「そうだね、下手にこんな場所で熱くなって何かトラブルが起こるとも限らない。公式戦では納得も出来るけど」
確かに野試合で怪我などして公式の試合を欠場したとあっては、自己責任とは言え本人は悔やんでも悔やみきれないだろう。
幸村達の懸念は確かにその通りだったが、そこで竜崎は一つの条件を提示した。
「では、利き手と逆の手で試合をしたらどうかねぇ。今日は元々ウチでそういう試合を考えておったんじゃ、逆の手なら慣れていない分本気を出すのにもブレーキがかかるだろうし、良いトレーニングになると思うよ」
「利き手と逆・・・」
「む・・・」
その提案には幸村達も敏感に反応を示して顔を見合わせた。
テニスは偏側性のスポーツで、利き手の使用がより多くなることで身体のバランスが崩れ、上手く力を伝えきれなくなる。
言い換えたら、非利き手を如何に上手く使えるかがテニスレベルを上げるポイントでもあるのだ。
それは幸村達も当然理解している事で、彼らも暇があれば非利き手でスイングの練習程度は行っていたのだが、そういう形でのトレーニングは他校とは行ったことはなかった。
しかも申し込んでいる相手は、それなりの実力が保証されている青学・・・
「・・・精市?」
「面白いアイデアですね・・・俺達も参加していいというのなら、お言葉に甘えようかな。手塚、いいのかい?」
黙っている青学の部長に立海の部長が尋ねると、相手は静かに頷いた。
「無論だ。相手を変える事で、お互いに得るものがあると思う。立海が相手なら、こちらとしては願ったりだ」
「そうかい? 有難う」
「言っておくが、如何に野試合とは言えこちらは勝つ気でいくぞ」
向こうの副部長は既に戦闘態勢に入っており、やる気満々といった様子である。
意外なところで理想的な相手を見つけた事で、顧問の竜崎も上機嫌で頷いた。
「じゃあ、組み合わせを決め直さないとねぇ・・・それから折角参加してくれるんだから、どっちかが勝った時の景品でも考えようか。あんまり気の利いた物は準備出来ないと思うけど、考えて記しておくよ」
「俺は別に無くても構いませんが・・・まぁ、ゲームは楽しくなるかもしれませんね」
ごほうびがあったらゲームも更に盛り上がるだろうと幸村は笑い、それからは試合の組み合わせについての検討が始まったのだが、過去の因縁の対決がまだ記憶に強く残っているのか、関東決勝と同じ組み合わせでの勝負にこだわるメンバーが多く、結局今回のレクリエーションは非利き手における再試合という位置づけで収まった。
「・・・となると、精市は外れてしまうことになるのか・・・」
「ふふ、いいよ弦一郎。もし時間があったら、手塚とやらせてもらおうかな。あのルーキーも面白そうだけど」
立海の部長と副部長がそんな会話をしている時、青学の副部長は顧問の書いた景品の書かれた紙をテーブルから取り上げていた。
「あれ? 竜崎先生は?」
「何か、コートの使用時間の延長に行ったみたいだよ?」
「そうか、景品については・・・うん、書き終わってるみたいだ」
河村と話しながらひらっとメモ紙を取り上げた大石は、皆に声を掛けて注意を促した。
「よーし、じゃあ取り敢えず、先に景品を発表するよ。えーと、勝った方のチームには、新品のテニスボール十ダースと、プロテイン飲料を一ヶ月分・・・」
予想より豪華な景品に、立海のメンバーも色めき立つ。
「すげぇな、それだけ貰えたら御の字だ」
「ん〜〜、やる気沸く〜〜。青学には悪いけど、お土産持って帰ろうぜぃ」
既に自分達の勝利を信じて疑わないジャッカルと丸井が不敵な笑みで囁いたところに、大石の続きの言葉が重なった。
「それと最優秀功労者に・・・桜乃・・・・・・・・え?」
『・・・・・・・・・・・・』
一同、一斉に水を打った様に静まり返り・・・・・・次の瞬間、
『なにいいいぃぃぃぃぃっ!!!???』
青学、立海、揃っての大合唱が響き渡り、たちまち辺りは大混乱。
「嘘だろ大石〜〜〜!! ちゃんと読まないとダメじゃん!!」
「い、いや、だって本当に書いてあるんだって菊丸、ほらここ!!」
「マジっすか!?」
大石と菊丸と桃城がぎゃあぎゃあと騒ぎ立てている脇で、ふらふら〜〜〜〜っ、ぱったり・・・と倒れ込んだ人影が一つ。
それは景品にされてしまった桜乃・・・ではなく、立海の美丈夫、幸村だった。
「おわああぁぁっ! 幸村さん!? くっ、唇がなんか青色通り越してマムラサキッ!!」
「俺達が真田に殺されるーっ!!」
いや――――――っ!と錯乱する桃城達に抱き起こされて、真っ青になった相手は、かろうじて意識を保ちつつ、唇を手で押さえながら答えた。
「だっ・・・大丈夫・・・ち、ちょっと眩暈がして・・・・・・」
その向こうでは真田が手塚に迫り、胸倉を掴みあげる勢いで怒声を上げていた。
「お前の処では、上達の為には生徒まで景品にするのか――――――――っ!!!」
「そんなワケがなかろう!」
珍しく大声を上げて否定している青学の部長だったが、その表情は既に辟易としている。
「・・・すっげぇトコだな、お前の学校・・・・・・教師が率先して犯罪行為かよ」
「あのオバサン、時々なに考えてるか分からないトコあるから」
切原の呟きに、越前は横を見ながら困惑しつつ答えたが、その隣の不二は奇妙だと言って首を傾げていた。
「いや・・・本人に許可も取らないでそういう事する人じゃないんだけどな、竜崎先生・・・」
「へぇ、そう・・・って、許可取るんスかっ!?」
なんちゅうトコロだ!とおののく切原の隣では、向こうで呆然としている桜乃を哀れみの目で見ている仁王達がいた。
「・・・あんな仕打を身内から受けながら、よくグレずにあれだけ真っ直ぐに育ったもんよ。本当に偉いぞ、あの子・・・」
「心まで重くなる話ですね・・・」
もらい泣きをしているのか、柳生に至っては、くぅっと眼鏡の下から目頭を押さえている。
「・・・貞治、顧問の竜崎先生は過去に犯罪歴は無いのか・・・」
「そういうデータは俺の手元にはない。この件については正直、ノーコメントを通したいぐらいだ・・・」
柳の愁眉に、乾も愛用のノートを抱えて眼鏡を押し上げたが、やはりその奥の表情は何処となく暗かった。
そんなこんなで、取り敢えず青学と立海はそれぞれのグループに分かれて、割り当てられたコートの方へと移動する。
どちらのグループも、テニスボールなどについては最早、どうでも良くなっていた。
「勿論、竜崎さんを景品として扱うつもりは全くないけど・・・ちょっと、あんまりだよね」
ようやく精神的ショックから立ち直った幸村だったが、いまだに顔色は紙の様に白く、ベンチに座ってそう発言する顔は所々引きつっており、彼は厳しい口調で締め括った。
「とにかく! レクリエーションと言っても竜崎さんの人権が掛かっているし、みんなにはいつにも増して頑張ってほしい」
『悪逆非道の青学をぶっ潰すぞ――――――――っ!!!』
『おお――――――――っ!!』
こちらのベンチまで聞こえてくる立海メンバーの気合に、青学メンバー全員が振り返る。
「・・・誤解もいいとこッス」
変な言いがかりはやめてよ・・・と越前がため息をつく。
「うわ・・・僕達、いつの間にか完全に悪人だね。何だか新鮮」
あっはっは、と逆に面白そうに笑う大物の不二とは反対に、副部長の大石は青くなって震えながら呟いていた。
「先生、アナタを恨みます・・・」
しかし、本当に恨みたいのは、それこそ景品にされてしまった桜乃本人だろう。
「おばあちゃん〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
「どういう教育方針なの、桜乃の家」
顔を真っ赤にしてここにいない祖母に怒っている親友に、朋香は呆れた顔で尋ねてみたが、無論、納得できる回答など得られる訳が無い。
そうこうしている間に発端となった祖母が戻ってきて、桜乃は速効、彼女に涙目で詰め寄った。
「おばあちゃんっ! なんであんな事をしたの〜〜〜!?」
「へ? あんな事って?」
「孫を景品にするなんて、あんまりじゃない! みんな、何だか凄い騒ぎになっちゃって大変なんだから〜!」
「ありゃ、おかしいね・・・あたしゃまだ全部書き終えたワケじゃなかったんだが・・・」
「え・・・」
ぽかんとする桜乃が思わず聞き返し、近くにいた青学のメンバーがぴくっと耳を反応させる。
「り、竜崎先生!? 書き終えてたんじゃなかったんですか? 紙を伏せてあったからてっきり・・・」
「馬鹿モン、幾ら私でも孫を景品にするワケなかろう。本当は『桜乃を一日借りる権利』と書くつもりだったんじゃ」
「どっちにしろ私、景品になるんじゃないっ!!」
『全くだ―――――っ!!』
うわーんっ!と半泣きで非難する孫の言葉に、青学の全員が心で同意。
孫に非難されながらも、しかし竜崎の態度は変わらなかった。
「うるさいねぇ。勝った人間は間違いなく青学、立海の中でも飛びぬけてテニスのセンスがある奴なんだよ? もし一日、テニスの個人練習の中で雑用させられても、お前にもメリットは十分あるだろうに」
「おばあちゃん・・・その人がテニスの個人練習だけするなんて保証は、この世の何処にもないんだけど・・・」
その新たな騒ぎは、やがて立海側にも伝わるところとなる。
「『一日借りる権利』・・・? 竜崎さんを?」
「・・・あまり根本的には変わってないように思えるが・・・倫理と人道の面からは」
幸村と真田は顔を見合わせてそんな言葉を口に乗せたが、それでも当初の祖母大暴挙疑惑よりはマシかと息を吐く。
「一日ねぇ・・・まぁ、呑気な奴だけど、結構アイツ・・・」
優しいし可愛いし・・・これを口実に祖母公認でデートでもやれってか・・・?
切原が心の中でそんな事を考えている間、他の数人のメンバーも微妙に沈黙を守っており、もしかしたら近い事を考えているのかもしれない。
しかし、まぁ一日だけだし青学のメンバーもそうそう滅多な要求はしないだろう、良かった良かった、と立海の面々が考えていた向こうでは・・・
「ふぅん・・・じゃあ一日ずっと肩たたきさせるとか!」
「限定パンの行列に並んでもらおう・・・」
「新作乾汁の被験者に・・・」
「激辛料理の店に一緒に・・・」
と、危険な匂いのする言葉がぽんぽん飛び交っていた。
『全っ然、良くね―――――――っ!!』
予想を超える青学側の企みに、がーんっと立海側はショックを受けて真っ青になる。
幾つかはかろうじて許せるとしても、最後の二つはどうしても聞き捨てならない。
「奴らは竜崎に恨みでもあるのだろうか・・・? 貞治も何を考えている・・・」
乾汁や不二の性癖の恐怖を知る柳は、知己の真意を探ろうとするもののどうしても解答は得られず、首を捻る。
(・・・あんないい子があのポジションにいて、今までずっと一人だった理由が分かった。彼女の責任じゃない、完全に環境が原因だ)
あれだけ気立てのいい子なら、近くにそれなりのレベルの男子の集団がいたら、その内の誰かと少しは近づいた仲になってもおかしくはない。それに、彼女が気にしている人物が一人いるという話も聞いているが、そちらの進展についてもさっぱりの様だし・・・しかし、アレを見たら納得だ。
「精市? 黙り込んでどうした。まさか、また気分が悪く・・・」
「いや、竜崎さんはやっぱり、ウチで保護してあげなきゃねってこと」
青学には任せておけないと一団が決意を新たにしている一方で、桜乃は祖母から車の鍵を渡されていた。
「桜乃、車の中に積んであった荷物をここまで運んでおいで」
「ボールとかの景品?」
「そうだよ、元々青学の備品のつもりだったけど、立海が相手なら勝敗はどうなるかは分からない。念の為、というところだね」
「あ、私も手伝います!」
朋香も名乗りを上げてくれたところで、桜乃は彼女と連れ立って、駐車場へ向かおうと玄関口へと歩いて行く。
「ふふ〜ん、でも桜乃も結構悪い気はしないんじゃない? 一人の少女を巡っての男達の壮絶な戦いって感じ! ちょっとしたドラマよねー・・・リョーマ様が入っているのが気に食わないけど」
「そ、それは仕方ないよ・・・私がそうした訳じゃないんだし、きっと向こうも・・・いい迷惑って思ってるよ・・・」
何の取りえもない自分が、仮に彼に一日貸し出されたとしても、一体何をしてあげられるというのだろう?
少しだけ少女の言葉が元気を失くした時、丁度そこを越前がラケットを持って通り過ぎる。
「・・・勝手に人を悪人にしないでくれる? 別にそんな事、思ってやしないから」
「あ、リョーマ君・・・」
「キャー! リョーマ様―っ!」
騒ぐ朋香の声を聞き流しながら、越前はちら、と桜乃の方へのみ視線を向けるが、相変わらずその表情は飄々としている。
「本気でやるよ。俺、一番じゃないと気がすまないだけだから。アンタの事は関係ない」
「う、うん・・・分かってる」
相手に頷く桜乃の隣で、朋香がぶーっと頬を膨らませて不満をぶつけてきた。
「えー!? じゃあ、もし桜乃がリョーマ様に貸し出されたら、もしかしてデートとかするワケ!? それって幾ら桜乃でも許せな〜いっ!」
「と、朋ちゃん、落ち着いてよ」
「馬鹿馬鹿しい・・・何も期待してないよ、何もしないでいいから、あんまり騒がないで」
すっと通り過ぎた越前は、振り向きもせずにコートに向かっていき、桜乃と朋香はまたいつもの様に取り残される・・・日常の風景だ。
「う〜ん・・・いつもクールなリョーマ様ぁ! でも、今日はちょっとクール過ぎるって感じもするけど」
「・・・そうだね」
寂しそうに笑う桜乃だったが、自分の気持ちを押し付け、受け入れられなければ相手を非難する程に傲慢にもなれなかった。
「じゃあ、行こう、朋ちゃん」
「うん・・・あっ、ちょっと待って、こっちが駐車場まで近いみたいだよ?」
促されたところで、朋香が玄関口ではない、別の細い通路を指差した。
確かにその壁に書かれているのは駐車場という言葉と矢印だったが、何となく通路そのものは薄暗く、一般人に使われている雰囲気ではない。
もしかしたら、従業員が使っている裏道の様な場所なのかもしれない・・・今は誰も使っていないようだ。
「大丈夫かなぁ・・・使って怒られたりしない?」
「大丈夫よ、だって通路をちょっと通るだけだもん。早く運んだ方が早く済むし、重い物を遠回りして運ぶより絶対いいってば」
「それはそうだけど・・・」
「いこいこ」
さっさと通路を走り出す朋香を慌てて桜乃も追いかけた。
少し距離のある直線の道が先で曲がっており、先に走っていた朋香が曲がって見えなくなったところで、彼女の小さな悲鳴が聞こえた。
『きゃっ、ごめんなさい! あ・・・荷物が・・・』
どうやら先に誰かがいて、友人はその人とぶつかってしまったらしく、何かがどさどさと床に落ちる音も聞こえてきた。
「え? 朋ちゃん?」
どうしたの?と言葉を掛ける前に、桜乃もまた曲がり角に差し掛かったが、その時桜乃の足に何かがぶつかった。
「きゃ・・・」
慌てて転びそうになったところを何とか踏み止まりつつ、そのぶつかった物を確認し、桜乃の瞳が大きく見開かれる。
「・・・え?」
朋・・・香・・・?
何で彼女が・・・倒れてるの・・・?
その倒れている友人の周囲にやたら白色が目立ち、それがビニル袋に入れられた白い何かだと認識したところで、桜乃の顔が無意識に上げられた。
(・・・誰?)
見たこともない人が、立っていた。
男だ・・・若い男の人が・・・二人?
どちらかの男が舌打ちした音が聞こえ、瞬間、桜乃の脳内に危険信号が走った。
何か・・・危険だ、この人達・・・!!
逃げようと咄嗟に振り返ったのは仕方のないことだったのかもしれない、しかし、やるべきではなかった。
がんっと何か大きな衝撃を頭に受け、桜乃の周囲の世界がぐるりと回る。
痛い・・・!
その痛みすら、すぐに消えていく・・・自分の意識と一緒に・・・
(朋ちゃん・・・・?)
彼女は・・・どうなっただろう・・・?
気を失う間際までそう考えていた彼女の耳に、誰かの呟きが聞こえてくる。
きっとあの男達の誰かだ・
『・・・顔を見られた以上は、放っとけねぇよな・・・・・・番・・・場に急いで・・・』
『じゃあ、どうするの?』という一言を投げかけることも出来ないまま、桜乃は気を失い、何も分からなくなってしまった・・・
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