GO!GO! U−17合宿!!・2


「はふぅ・・・」
 U−17合宿が始まった日付から数日と経過していないにも関わらず、桜乃は教室の窓枠に手を掛け、力ない溜息を零していた。
(そんなにしょっちゅう会いに行っていた訳じゃないけど・・・会えないってことになったら気になるなぁ)
 思い浮かべているのは、仲良く優しくしてくれていた立海のレギュラーメンバー達だ。
 確かに桜乃が思っている通り、彼女もそう毎日彼らの許へ通っていた訳ではない。
 数日空けることもあったし、試験前などになると一週間以上訪問を控えた時期もあったのだが、今この時の様に思いを馳せる事はそうなかった。
 何故ならその時は、自分が『行けなかった』のではなく『行かなかった』からだ。
 自身に相応の理由があり自らの意志で決めたことなら、そう悩む必要もない。
 しかし。
 今回は行きたいと望んでも、そして仮に行ったとしても、『会えない』、『会ってはいけない』という条件が付いているのだ。
 そこに己の意志は反映されていない。
 勿論部外者を排除するには、選手達をより特訓に集中させようという主催者側の目的はあるのだろうし、自分も彼らを邪魔しようというつもりは毛頭無い。
 しかし、やはり遠くからも見る事が出来ない、完全に隔離された状態だと、気にしない訳にもいかないのが人間だ。
(忘れようと思っても、なかなかね・・・)
 そう努力してみた事もあったのだが、如何せん自分もテニス部員であり、部活動中や青学のレギュラー達もまた校舎内にいないという事実を認める度に、連想ゲームの様に立海の面々の事も思い出してしまうのだ。
 それを振り切るように、彼らとの約束を果たす為に、桜乃は部活動も決して疎かにはしていない。
 そういう自負はあったが、やはり彼女の気持ちはすっきりと晴れやかにはいかない様だ。
 彼らは、きっと自分が休み時間にこうしている今頃も、厳しいトレーニングを課せられているのだろう。
 まだまだ未熟な自分には、その内容すら想像出来ない。
(・・・会えないと思うとストレス溜まるなぁ・・・発散によくお菓子作ったりもするけど、消費してくれる人がいないなら、作るだけ無駄だし・・・)
 と言うよりも、別にストレスが溜まっていなくても、食べてくれる人達がいたからよく作ってはいたんだけど・・・
「・・・・・・はぁ」
 もう一度深い溜息を吐いたところで、そこに同クラスの女生徒が近寄ってきた。
 どうやら先程から黄昏ていた彼女の様子が気になったらしい。
「どーしたの、桜乃。元気ないじゃない」
「あ、うん・・・ちょっとね」
「? あー分かった、男子テニス部のレギュラーがいないから落ち込んでるんでしょ。桜乃、結構親しかったもんね」
「・・・うん、何だか心配で」
 素直にそう言って認めた相手に、友人はやっぱり、と笑った。
「大丈夫だよ。あの人達結構タフな人達ばかりだし、きっとしっかりやってると思うよ」
「うん・・・」
 そう信じてはいるけれど・・・と思いつつ、桜乃がぽつんと不安を口にした。
「・・・三強の皆さんは、きっと問題なく練習されていると思うけど・・・」
「三強・・・?」
 聞き慣れない呼び方だな、と思った友人はしかしすぐにそれに知っている三人を当て嵌めた。
(ああ、手塚部長と不二先輩と越前君かな・・・確かにあの三人は青学でも特に強いって噂だし)
 勿論、桜乃が言った三強というのは、立海の幸村、真田、柳の三人だったのだが、互いの思惑の擦れ違いは是正されることなくそのまま会話が続いてゆく。
「他のメンバーの方々は、血糖低くなって倒れてないかとか、人を騙してないかとか・・・」
「・・・???」
「暴走して他の学校の生徒さんを潰してないかとか、それを抑えてとばっちり食っている人が出てないかとか・・・・・・私がいたって何も変わらないのは分かってるけど、やっぱり心配で」
「・・・あなた何の話してんのよ、桜乃」
「え? テニスよ? 決まってるじゃない」
(・・・大丈夫なのかしら、ウチの男子テニス部・・・・・・)
 少なくとも青学のレギュラーにとっては大いなる冤罪だったのだが、それからその誤解は解かれることはないまま、休み時間は過ぎていった。
 立海の面子と付き合う様になってから、桜乃の中の常識も、少しずつずれていっているらしいが、本人にはその自覚は皆無だった・・・



 そんな事があってから次の休日・・・
「つ・・・・・・作ってしまった・・・」
 桜乃は、自宅のキッチンで朝から途方にくれた声を出していた。
 彼女の周囲の状況にそぐわない発言であったのは間違いない。
 何故なら、目の前のテーブルには渾身のお菓子の作品達が大量に並んでいる。
 別に調理器具を破壊したとかそういうオチもないし、既にキッチンそのものは綺麗に片づけを終えている。
 本来なら無事に全ての菓子の製作を終えて、歓喜の時を迎えている筈であるにも関わらず、桜乃は『やってしまった・・・』というような渋い表情を隠しもしなかった。
「ううっ・・・いけないと思っていながら止めれられない事もあるんだぁ・・・全部、会心の出来なのに届けに行けないなんてぇ・・・」
 確かに、食べてくれる対象がいなければ、沢山のお菓子も宝の持ち腐れである。
 それでも、桜乃は今日と言う休日に起き出してから、止められない衝動に任せてお菓子たちを大量に製作してしまったのだった。
 これもストレス発散ということで多少心は晴れたものの、消費の問題を考えたら単純には喜べない。
(・・・月曜まで保存出来るのは保存して学校に持って行くとして・・・日持ちしないのはご近所さんにでも配るしかないよね)
 普通は食べる相手を想定してから製作に掛かるものだが、今回に限っては完全に本末転倒。
 そうするしかないと分かってはいても、それでも桜乃はあの赤い髪の若者達にあげたら、どれだけ喜んでくれるだろうかと、まだ未練が残っている様子だった。
「ああもう・・・どうせあげられないの分かってたのに、どうして作っちゃったんだろ・・・私のバカ・・・」
 小さい声で自分を叱咤していたところに、聞き慣れた声がキッチンに響いた。
「おやおや、何事だいこんなに!」
「お祖母ちゃん!」
 それは、祖母である竜崎スミレだった。
 今日も元気溌剌なその女傑は、冷蔵庫に入っている牛乳を貰おうとその場に現れ、孫の作品群に目を丸くしている。
「さっきからここが賑やかだと思ってたら、何をこんなに作っているんだいお前は・・・」
「ご、ごめんなさい〜」
 どうしよう、兎に角、予定でもあげる人を知らせておかないと・・・と考えていたところで、キッチンの傍に充電器と一緒に置いてあった電話の子機が鳴り出した。
「もしもし?」
 近くにいたスミレがそれを取って応対し、一時桜乃との会話は中断される。
 その間も桜乃はその場から動かず、祖母の話が終わる事を待っていた。
「・・・ああ、はい、ご無沙汰しております。その節はどうも・・・」
(学校の関係者の人からかな・・・?)
 丁寧な口調で話しているのを見る限りでは、祖母の親しい友人ではなさそう・・・と思っていた桜乃の耳に、気になる単語が飛び込んできた。
「いえいえこちらこそ・・・・・・どうですか、ウチの奴等は。そちらの合宿メニューにはついていけてますか?」
「っ!!」
 普段はおっとりのほほんとしている桜乃が、ぴくーんっと素早い動きで顔を上げ、見えない獣耳を極限まで伸ばした。
 合宿・・・ということはまさか、向こうにいるのはあの例のU−17関係者!?
 自分の祖母が青学の顧問である事は重々承知だったが、ほんの少しでも立海についての情報が流れてこないかと、桜乃は意識を集中して祖母の会話に耳をそばだてる。
「そうですか、元気でやれているなら何よりです・・・え? 見学、ですか?」
「っ!!!!」
 更に新たなラッキーワード!!
(け、見学!? って事はその合宿所の見学よね・・・!? ってことは、お祖母ちゃん、合宿所の中に入れるのかな・・・)
 もし行けるなら、せめてこのお菓子を皆さんに届けて・・・と密かに画策していると、目の前の祖母が少し困った表情を浮かべた。
「乾が? ええ、それらの資料は確かに把握していますが・・・・・・え? 同伴者も認める?」
「〜〜〜〜!!」
 同伴者も認めるってことは・・・上手くしたら・・・!
「・・・分かりました、一応、借りられる人手があれば今日にでも」
 その言葉を最後に祖母はぴっと子機のボタンを押して通話を打ち切ると、ふむ、と小さく頷いた。
「お、お祖母ちゃん、何処かに行くの?」
 大体察しはついていたが、桜乃はさりげなく相手にそう尋ねてみた。
「ああ、各学校の顧問に、U−17合宿の見学の誘いが来ているんだよ。過去の練習方法とか、向こうも色々と監督の立場のアタシ達に聞きたいこともあるらしい。ついでに乾がデータの記載された資料を持ってくるように頼んでいるらしいんだが・・・結構な量だからねぇ」
「ふ、ふぅん・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
 うろうろうろうろうろうろうろうろうろ・・・・・・・・・・・・
 スミレの返答を聞いてから、桜乃は明らかに挙動不審となり、祖母の視界から外れることなく目の前を行ったり来たりを繰り返す。
 無論、無言の『人手なら目の前にいます』アピール作戦である。
「・・・・・・お前、随分と暇のようじゃないか、桜乃」
「うっ、うん! 暇!! もうどうしようもなく暇っ!」
 自分で言ってて悲しくなる台詞だったが、そこは気持ちを割り切って。
 桜乃は祖母がぶら下げた餌に、思い切り良く食いついた。
「はぁ・・・アタシの孫なのに休日から冴えない子だねぇ。アタシの若い頃なんぞは・・・」
「モテたらしいのは知ってますよだ・・・」
 武勇伝を語り出した祖母に、桜乃は少し拗ねた様子で言い返した。
 自分もイケメン軍団の立海に過保護なまでに可愛がられているのは、こういう時には自覚がなくなるらしい。
 と言うより、桜乃の認識としては、自分は女性としてではなく妹分として可愛がられているというものだったので、モテるも何も関係ないのだった・・・現実はどうであれ。
「しょうがないねぇ・・・もしそこまで暇ならちょっと荷物運びに付き合っとくれ。U−17合宿所に行くよ」
 予想していた通りの行き先・・・そして、降って沸いたラッキーに、桜乃は飛び上がって喜びたい気持ちを抑えて確認した。
「あ、あの・・・私も中に入っていいの!?」
「ああ、同伴者を認めてくれるらしいからね。お前は女子で実力的にもあまり関係はないだろうが、プロを出す場所の練習や設備を見るだけでも良い刺激になるかもしれない。外で待っていても構わないけど、もし興味があるならおいで」
「う、うんうん! 見たい!!」
 そして、設備以上に、立海のメンバーの皆さんに会いたい!!
「えと・・・じゃあじゃあ、このお菓子も差し入れで持っていくね! 向こうが受け取ってくれたら、いいでしょ?」
「そりゃあ構わないけど・・・よく作ったもんだね」
 そして桜乃は、ちゃんとお菓子だけではなく荷物も責任をもって運ぶ事を祖母に約束し、意気揚々と目的のU−17合宿所に向かったのである・・・



 意外にも、祖母と共に車で向かったU−17合宿所は都会の中ではなく、自然が豊かな都内に程近い場所にあった。
「・・・もっと都会にあると思ってた」
「まぁそう思うのが普通だろうけどね。そういう所に施設があれば誘惑も周囲に多いだろう?」
「そっかぁ・・・」
 言われてみたら、中学生も高校生も、年齢的にはまだまだ遊びたい盛りの年頃だ。
 近くにカラオケやゲームセンターがあれば、こっそり抜け出して遊びに行ってしまう人間もいるかもしれない。
(・・・ゲーセンに関して言えば、間違いなく行きたがる人がいるし・・・)
 約一名、思い切り心当たりがある人物を心に思い描いていたところで、それに・・・と祖母が付け足した。
「都会で脱走して逃げ込まれたら探すのも容易じゃないが、こういう何もないところだとすぐに見つかるからねぇ」
「だっ・・・脱走前提なの?」
 どれだけスパルタなんだろう・・・と思いつつ、桜乃は車内で改めて持って来た荷物を確認し、最後にポケットに入れていた封筒を検めた。
「何だい? その封筒は」
「うん、久し振りにリョーマ君に会えるなら渡しておきたいのがあって」
「ああ、あの子もギリギリで参加には間に合ったらしいからね・・・全く、周りを冷や冷やさせるのは相変わらずだよ」
 ハンドルを握ってそう愚痴っていた祖母だったが、口調からは楽しんでいる様子だ。
 あのスーパールーキーもどうやら合宿所に無事に入れたという話は桜乃も聞いていたが、実際、全国大会が終わってすぐに彼がアメリカに旅立ってしまったので、会ったり話したりということは暫くなかった。
 まぁ元々がテニスに夢中な少年なので、そこまで親しくしてもらえている訳でもないのだが。
(でもクラスメートだし、テニスの楽しさを教えてくれた人でもあるもんね・・・喜んでくれたらいいんだけど・・・)
 そんな事を考えている内に、車はいよいよ合宿所への専用道路へと入り、それから更に走っていったところで、鉄製の頑丈な門に遮られた入り口へと到着した。
「うわぁ・・・」
 暫く自然溢れる景色しか見ていなかった桜乃が、そこに来て感嘆の声を上げた。
 凄い!!
 最初に心に浮かんだ言葉らしい言葉は、その一言に尽きた。
 テニス強豪校で知られる青学も立海も、施設の充実さには定評があったが、ここはそれとは最早次元が違う・・・正に別世界だ。
「ひろ〜い・・・・・・コート、何面あるんだろう・・・」
「噂には聞いていたけど、確かに日本の代表を育てる場所だけあるね」
 門の傍にはしっかりと警備員達が常駐しているらしい小さな建物があり、祖母の運転する車は一度その前で止まった。
「お前も一度降りなさい。一般人が入れない場所に入場する以上、手続きはちゃんと取らないといけないからね」
「はぁい」
 尤もな話であり、桜乃も特に逆らう理由もないので、素直に下車して施設へ祖母と一緒に向かう。
「こんにちは」
「こんにちは・・・青春学園の竜崎スミレ先生ですね。連絡は既に受けております・・・そちらは?」
 しっかりとした訓練を受けていると思われる若い警備員が、窓から上半身を乗り出して本人と桜乃を確認した。
 どうやら祖母が来訪する件については既にここまで情報が来ているらしい。
「荷物を一緒に運んでもらう為に同伴しました。私の孫です」
「そうですか、結構です。一応来場者は全員、氏名の確認を行っておりますので、こちらに記載をお願いします」
「分かりました」
(うわぁ・・・確かにセキュリティーは物凄く厳しそう・・・)
 これじゃあ、脱走するのも一苦労だろうなぁ・・・いや、別にそれを奨励するつもりはないけど・・・とそんな事を考えながら、桜乃は祖母に続いて来訪者の名簿に続いて名前を記載した。
 しかし、元々ここに来る人間そのものが少ないのか、自分達が書く前に記載されていた人の数もかなり少ない。
(・・・あ、榊監督の名前もある・・・少し前に来ているみたい)
 と言う事は、彼は既に施設の中に入っているのか・・・
「・・・中学校の顧問の先生達全員が集まっているんですか?」
 素朴な疑問をぶつけてみると、その若い警備員はいえいえと笑顔で応えてくれた。
 「今回の見学の件は臨時で決まったもののようなので・・・詳細はこちらでは分かりかねますが」
「そうですかぁ」
 確かに、よく考えたらそういう事を決定するのは警備関係の人たちではなく、この合宿を主催している関係者だ。
 ちょっと的外れな質問をしてしまったかも、と思いつつ、桜乃は無事に自分の氏名を書類に書き終えた。
「有難うございます。では中へどうぞ、駐車場はこの先に行けば案内板がありますので誘導に従って下さい」
「分かりました」
 スミレが答えて、二人は再び車に乗り込み、中へと移動していった。
 コートでは沢山の生徒が練習試合を行っていたが、彼らの纏っているウェアーは見た事がないもので、一種類に統一されており、見知った人間も一人もいない。
「どうやら、あのウェアーは高校生達のもののようだね」
「あ、そうなんだ・・・やっぱり・・・」
 忙しなく視線を動かして立海の面々を探していた桜乃だったが、ここでは再会を果たせる事はなかった。
 それから駐車場へと無事に到着するまで、桜乃は立海はおろか、中学生の面子には誰一人会えないままだった。
 もしかしたら、今は彼らは外ではなく、屋内でのトレーニングでもやっているのかもしれない。
「そら、着いたよ」
「うん・・・凄い建物だね、敷地も凄く広いし・・・こんな場所があるなんて知らなかった」
 駐車場に着いてからも、傍に見える数多くの関連施設が、更に少女を驚かせていた。
 予想を大幅に上回る規模の施設が幾つも立ち並んでいる光景は、周囲の自然豊かな景色と絶妙なギャップをもたらしている。
 数多くの生徒を寮で管理している以上、これだけの大きさは必要なのかもしれないが・・・やはり目の当たりにすると自分の様な小市民は圧倒されてしまう。
「竜崎先生」
「っ・・・」
 ぽえ〜っと施設の内の一つの建物を眺めていた桜乃の耳に、心地よい低音の声が聞こえてきた。
 自分ではなく、祖母を呼ぶ声・・・
「ああ、榊監督」
「ご無沙汰しております」
 丁度近くの道を歩いていたらしい氷帝のテニス部顧問が、彼女達に気付いたらしく傍に歩いてきて挨拶をする。
 相変わらずスーツ姿が決まっている相手は、一見すると何処かの国の貴族の様だ。
「こ、こんにちは、榊監督」
 相手のオーラに多少圧されつつも、桜乃はぺこんと礼をした。
「ああ、こんにちは。竜崎桜乃君・・・だったね」
 全くの初対面ではなく、青学のメンバーの世話をしたり日米選抜チームの合宿の時にもボランティアとして働いていた桜乃については、榊も面識があったので丁寧に挨拶を返してくれた。
 相手が子供であっても軽んじないところは、流石に出来た大人の対応だ。
「今日はお孫さんもご一緒でしたか」
「ええ、ちょっと届ける荷物もありましたからね・・・榊監督はここで何を?」
「施設を簡単に見回っていたところです、今後の氷帝の活動に役立つものがあるかと思いましたので・・・ご都合が宜しければ、今から責任者のコーチの許へ一緒に行こうかと思ったのですが」
「おやそうですか・・・ううん」
 少し困った様に荷物を見遣った祖母に、桜乃が咄嗟に挙手して声を上げた。
「あ、だ、大丈夫だよお祖母ちゃん。荷物は私が運んでおくから、榊先生と一緒に行動しても」
「いいのかい? 一人で運ぶにはちょっと重いけどねぇ」
「分散して運んだら大丈夫だし・・・終わったら、ちょっと見学してもいい?」
「そりゃ構わないが・・・くれぐれも邪魔するんじゃないよ」
「うん!」
 一人になったら逆に身軽に行動出来るし、その分、探しているメンバーと会える可能性も高くなる!と桜乃は考え、元気良く返事をした。
 そして、一時その場で祖母と別れることになった桜乃は、荷物を運ぶ場所を教えてもらってから、榊監督と祖母を見送った。
「いってらっしゃい」
「すまないね、桜乃君。では、失礼するよ」
「あまりちょろちょろするんじゃないよ。また後で携帯で連絡を取るからね」
 大人達二人と別れ、桜乃はその場に一人になると、早速任された荷物をよいしょっと抱えてえっちらおっちらと運び始めた。
 荷物そのものはダンボール二つしかないが、その一つ一つが結構な重さであり、女性である彼女は一個持つのでやっとだ。
 これはさっきも主張した通り、二回に分けて運んでから、お菓子を持って見学に回った方がいいだろうと判断し、桜乃はその計画に従って動き始める。
「えーとえーと・・・荷物を運ぶのはあの建物の、乾先輩の部屋の前か・・・うん、目に見えていたら迷うこともないよね・・・・・・にしても・・・」
 真っ直ぐに歩きたいのに、何故か足元がふらふらとおぼつかない。
 いや、理由は分かっている・・・持っている荷物があまりに重くて重心が上手く定まらないのだ。
「うう、乾先輩、何が入っているんだろうこれ・・・紙だけでも結構重いからなぁ・・・」
 それでも一度交わした約束なのだし、きっちり果たさないと・・・!と、一生懸命桜乃はダンボール箱を抱えてふらふらと建物に向かって歩き続ける。
 そんな調子で歩いていた少女がまだ十分の一の距離も踏破していないところで、彼女の姿を遠くから認めた一人の少年がいた。
「んん・・・?」
 ラケットを背中に背負い、豹柄のシャツを纏ったその少年は、遠くでよろよろとよろけながら荷物を運ぶ桜乃の姿を見つけ、ぱちくりと大きな瞳を更に見開いた。
「女の子や・・・・・・どっかで見たことあるなぁ」
 いつも大体一緒に行動している先輩であり仲間でもある若者達が傍にいたら、相手の素性についても聞けたかもしれないが、ついていない事には、今の彼は単独行動中。
 普段から悩むより先に動くタイプであったその若者は、この場所では先ず見た事がなかった女性の存在に興味を持ち、早速その好奇心のままに相手に向かって走って行った。
「おーい! ねーちゃん、何しとるん? フラフラして、酒でも飲んだんか?」
「え・・・?」
 振り返った桜乃は、相手の姿を見てすぐにその名前を思い出していた。
「あら?・・・遠山さん」
「へっ・・・?」
 当人は名字を呼ばれてきょとんとしているが、間違いない。
 四天宝寺の、越前と並ぶ一年生ルーキー・遠山金太郎だ。
 桜乃とも、全国大会の時の会場近くでアクシデントという形ではあったが、出会って言葉も交わしている。
 しかしそれでも、向こうは彼女を思いだすまで多少の時間を要した。
「んーと・・・おお!! おむすびのねーちゃんか!!」
(影が薄いのは一応自覚してはいるんだけど・・・)
 もしかして自分は食べ物よりも存在感が薄いんだろうかと密かに悩みつつも、桜乃は相手に肯定の頷きを返しながら改めて挨拶した。
「お久し振りです、遠山さんも合宿に参加していたんですね」
「おうっ!・・・・・・けど、ねーちゃんは何しとるんや? ねーちゃんも合宿か?」
「い、いえいえ違いますよ。ちょっと荷物を届けに・・・」
「ふーん・・・」
 見ている傍から、ふらふらとふらついている桜乃の姿が非常に危なっかしい。
 遠山は普段から素行は野生児そのものだが、敢えて人の言いつけを破る様な悪人ではなく、ちゃんと人を思い遣れる懐の深さも兼ね備えている。
 そんな彼が、荷物の重さに難儀している知己を見て見ぬ振りをする訳もなく、彼は興味深そうに彼女の持っていた荷物に手を伸ばした。
 ひょいっ・・・
「え・・・っ?」
「なーんや、どんだけ重いんかと思ったけど、ラクショーやん!」
 自分があれだけよろめきながら運んでいたダンボール箱を、軽々と肩に抱えて飛び跳ねている相手を見て、桜乃は大いに驚いた。
 身長は自分とそう変わらない、年齢も同じなのに、この身体能力の違いは・・・
「なぁねーちゃん。これどこに運ぶんや? ワイが運んだる」
「ええ!? で、でも、いいんですか? 合宿の練習は・・・」
「もうこの時間のは終わってん。ええよ、どうせ暇やし、白石も千歳も遊んでくれへんもん」
 何かの練習中であれば邪魔をする訳にはいかなかったが、相手も暇ということであれば、好意に甘えさせてもらってもいいだろうか・・・
 少しばかり悩んだものの、桜乃は結局、その場は相手の申し出を受け入れる事にした。
「す、すみません、遠山さん」
「ええってええって・・・運ぶんはこんだけ?」
「あ・・・いえ、もう一つあるんですけど、そっちはまた後で・・・」
「何や、めんどくさいなぁ・・・じゃあ一緒に運んだがええやんか。何処?」
「え・・・?」
 それから桜乃は、遠山に急かされるように、一度来た道を元に戻って駐車場へと移動し、そこに残されていたもう一つのダンボール箱を相手に見せた。
 二つの箱の大きさは同じもので、重さもさして相違はなかったが、遠山は桜乃から示されたもう片方の箱も、別の肩にひょいっと乗せてしまった。
「わぁ・・・」
「これで全部やな・・・そっちのは重くないんか? ねーちゃん」
「はい、これは大丈夫ですから自分で持てます」
 結局、桜乃はダンボール箱を相手に持ってもらえたことで、自前のお菓子を詰め込んだビニル袋のみを抱えて移動する形となった。
 そして二人は再び、最初の目的地である選手達の寮へと向かう。
「遠山さんは凄いですね、そんなに重い荷物を軽々と」
「そうか? こんなん、何てことないけどなぁ・・・女の子が力なさすぎるんちゃうん?」
「そこはか弱いと言って頂けると・・・」
 ごにょごにょと小さい声で主張している桜乃の言葉が完全に無視した状態で、足取りも軽い遠山はぶつぶつと愚痴を零し始めた。
「でもなぁ、ここ来たらぎょうさんの奴とテニスの試合出来る思てたんやけど、毎日トレーニングばっかでワイ、つまらんわ」
「試合がない?」
「よう分からんけど、何か禁止されてるんやて。コシマエともまだ勝負できへんし・・・」
「ふぅん・・・リョーマ君、元気にしていますか?」
「元気なんちゃうかな・・・相変わらず逃げ足速いからなぁ」
(それは多分、本当に逃げている訳ではないと・・・)
 面倒事は苦手なあの若者のことだから、上手く避けているだけなんだろうなぁ・・・と思っている内に、寮の目的地である乾の部屋の前に到着した。
 外に掲げられていたネームプレートもしっかりと確認。
「あ、ここですね」
「ん・・・でも多分今は誰もおれへん思うけど」
「ええ、ここに置いておくように言われてますから」
 そうか、と遠山は二つのダンボール箱をどさりとドア脇の通路に重ねて置いた。
 これで、桜乃の本来の目的も全て果たせたことになる。
「有難うございました、遠山さん。お陰で助かりました」
「ん〜・・・なぁ、何か遠山さんって呼ばれるの変な感じやなぁ。金ちゃんでええで?」
 先程から桜乃の呼び方に違和感を感じていたらしい少年は、むずむずする気持ちを頭を掻くことで抑えながらそう言った。
「え、そうですか?」
「うん、皆もそう呼んどるし・・・遠山さんって何か調子狂うんや」
「はぁ・・・じゃあ、これから気をつけますね・・・あ、そうだ」
 荷物を運んでもらったままでは申し訳ないと、桜乃はごそ・・・とお菓子の入った袋の中を探り、にゅっと一本の大きなロールケーキを取り出した。
 勿論形が崩れないように、綺麗にラップで包装されている。
「手伝って下さった御礼に、宜しければどうぞ。甘いのはお好きですか?」
「!!」
 それを差し出された少年は極限まで目を見開き、瞳孔も開いた状態でうるうると瞳まで潤ませた。
「ええの!?」
「はい」
「おーきにーっ!! うわーっ! 久し振りの甘いモンやーっ!!」
 そのロールケーキを受け取った遠山は、大喜びで飛び跳ね、喜んでいる。
(久し振りって・・・あ、そうか、ここはコンビニとかもなさそうだもんね・・・)
 そういう面ではちょっと不便なのかも、と思ったところで、桜乃は立海の面々を思い出した。
 そうだ。
 もうこれで自分の義務は済ませたから、後は立海のメンバー達の処に行ってみよう・・・簡単に買い物も出来ないこんな場所なら、きっとあの赤い髪の若者達は甘い物に飢えているに違いない・・・
(・・・じゃあ、遠山・・・金ちゃんに皆さんがいる場所を・・・)
 聞いてから行こうかな、と思いつつ、桜乃が相手の方へと振り返ってみると・・・
「あの・・・」
「わーいっ!! 白石達に自慢したろーっ!! ホンマにおおきにな、ロールケーキのねーちゃんっ!!」
 声を掛ける暇もなく、相手はびゅーっと風の様にその場を走り去ってしまっていた・・・
「・・・・・・」
 あの速さに追い付ける人間は、この合宿所内でもそう数はいないだろう・・・呼んでも、歓喜しているあの子の耳に、それが届くかどうかも怪しいところだ。
 周囲には他に誰もおらず桜乃一人だけがぽつねんと残されてしまい、彼女は暫し呆然としていたが、仕方がないと気を取り直した。
「ん〜・・・皆さんの居場所だけでも聞きたかったんだけど・・・・・・それと、食べ物の名前付けて呼ぶの、止めてくれないかなぁ・・・」
 そこは自分も先に主張しておくべきだった・・・今度はちゃんと自己紹介して、呼び名を改めてもらおう、と心に誓いながら、桜乃はいよいよ立海の面子を探すべく、とことこと探索へと出掛けていったのである・・・


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